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第一章

捏造

「記事が掲載されるという一連の出来事が、ほんの数日の間にすべて生じたことになる……首尾よく段取りが整ったというのは、論理的可能性としてあり得ないこととはいえないが、経験則上、明らかに不自然」

 ここまで狂言騒動の経緯と構図を述べてきた。

 その上で、筆者の手元にある決定的資料を紹介したい。

 筆者が入手した十七枚のMD。

 そこに収められている記録は、信平夫婦、『週刊新潮』記者の門脇護、日蓮正宗の阿部日顕直属のグループである「妙観講」の幹部らが集まり、「どうすれば創価学会を効果的に攻撃できるか」を話し合った謀議そのものの録音記録である。

 謀略の真相を生々しく暴き出す「動かぬ証拠」である。

 この記録は、もともと私と旧知のジャーナリストのもとに送られてきたものを、彼の好意で提供してもらったものだが、いずれも、世に出るのは本書が初めての未公開記録である。

 そのジャーナリストの弁によれば、資料を入手した経緯は、こうである。

 ――平成十一年(一九九九年)八月二十四日、事務所に、七冊に綴じられた二百六十四枚にもわたる膨大な書類が郵送されてきた。消印は静岡県富士宮市。書類は取材の記録をワープロ打ちで起こしたものだった。

 書類の最初に一枚の手紙がつけてあり、そこには、

 「信頼できる方より一つの書類を頂きました。内容の余りのひどさに困惑し、自分の生き方を曲げるべきかどうか悩んだ結果、郵送させて頂きました。(中略)信仰の名の元(=原文のママ)に、平然とやるオウム真理教と何も変わらない先輩たちに落胆しました。(中略)仲間を救いたい気持ちで書類を同封いたします。何卒、懸命(=原文のママ)な御判断をお願いすると同時に、本当の真相を明らかにして頂きたいと思います」

 元妙観講、阿部信之と名乗る差出人の文面からも、並々ならぬ心情が伝わってきた。

 送られてきた書類は、なんと、あの『週刊新潮』が、信平信子を取材した記録をワープロ打ちしたものであった。本物かどうか、にわかに信じがたく、裁判の推移を見守っているうちに、今年の二月二十二日、同一と思われる人物から、今度は十七枚のMDが送られてきた。

 聞いてみると紛れもない信平信子、醇浩の声。そして話されている内容は前回送られてきたワープロ打ちの書類と同様の内容と、その後の打ち合わせなどが録音されたMDであった。

 その内容は、生々しい肉声だけに、悪意、下劣さまでが手に取るように迫ってきて、おぞましい限りであった……。

 ここで特筆すべきことは、『週刊新潮』の門脇が当初から謀議の主導権を握り、訴訟の段取り、騒動の起こし方など、一切を取り仕切っていたという衝撃の事実である。

 この記録を見れば、なぜ『週刊新潮』が、あそこまで狂言騒動に固執したのか。当初から信平側と「身内」も同然の関係で、偏向報道を繰り返したのかが、よく分かる。

 『週刊新潮』は、まさしく信平側と「抜き差しならぬ関係」にあったのである。

 同業他誌が、あまりのバカバカしさに、次々と、この騒動から手を引いていった後も、ただ独り気を吐かざるを得ないほど、どっぷりと謀略の泥沼につかっていたのである。

 記録はまた、一連の狂言騒動が、どれほど虚偽と作為に満ち満ちたものであったかも明らかにしてくれる。

 例えば記録の後半部分、信平信子と門脇が、新潮社側の弁護士と、訴訟の見通しについて話し合うくだりがある。

 検事出身という弁護士の質問に、信平信子は冒頭からシドロモドロになる。弁護士は「とても話にならない。訴訟にならない」と客観的な判断を下す。

 要するに、新潮社側の弁護士ですら、はじめからサジを投げていたほどの、いい加減な話だったのである。

 にもかかわらず、「手記」は仕立てられ、報道された。記者会見も開かれた。訴訟も起こされた。

 すべてはウソと承知の上で進められた筋書きだったのである。

 そして、その狂言芝居の一切を操っていたのは、本来、公平・客観報道に徹するべきマスコミであったという恐るべき事実――今回、『週刊新潮』という雑誌の体質が、いかなるものかを、まざまざと見せつけられるにつけ、慄然とする以外にない。

 ジャーナリズムの世界に身を置いてきた者の一人として、これほど悪辣極まるマスコミの手口を筆者は知らない。

 お断りしておくが、原資料が膨大な量に及ぶため、ここでご紹介するのは、全体のごく一部分であることを、あらかじめご承知願いたい。

 また、彼らの会話調をそのまま掲載したのでは、かなり読みにくいので文意の変わらない程度に抜粋し、まとめてみた。

『週刊新潮』の“取材”は、こうして始まった

 信平は、創価学会を脱会した後、学会を誹診中傷するための様々なデマ話を吹聴する。それらのデマ話は、関係者の間でそれなりに注目され、四月会、共産党、日蓮正宗、創価学会の脱会者のグループ等々が、それぞれの思惑を持ち、“学会攻撃”のネタを求めて盛んに信平に接触を試みていたとみられる。

 その中で、『週刊新潮』は、彼らを出し抜き、独占取材の約束を取り付けるが、その「デマ話」の内容はあまりにもおそまつであった。そこで、『週刊新潮』と信平らの謀議によって、「捏造手記」と「狂言騒動」が生み出される事となった。その経過を辿ってみたい。

 まずは、『週刊新潮』が、言葉巧みに信平夫妻に単独取材に応じることを説得するくだりである。

●平成八年(九六年)二月二日(金)函館。

 『週刊新潮』記者・門脇護と妙観講副講頭・佐藤せい子、支区幹事・佐貫修一が同行。

門脇 あのね、これはですね、ずーっと黙っといて、ある日、突然に、一斉に「バッ」と出て、向こうがもう引き返せない、「あーっ」というヤツでやらないとダメなんです。

途中で情報が漏れたり、味方と思ってる人に、例えば自民党とか、そっから抜けてですね、途中で妨害が入ってきて、それでその最大のパンチ力が落ちたりしたりすると困りますので、これはもう、ズドンと(やらなくてはダメだ)。

佐貫 信平さん、四月会だとか(を相手にしないで)。はっきり言って、私ども

で(やらせてほしい)……。

門脇 それは、あの四月会も、共産党のほうも、僕たちはルートありますから。それは後になって、私たちがアレしますけど、でも、事前に漏れたりすると……。

信子 これは、共産党にも言ってませんし。言ってません!

佐貫 それは、それ(共産党に先に言うこと)はダメです! それは私のほうで丁重に……。

信子 ただ、ほら、共産党さんの弁護士を使ったためにね、「記録分帳」って、私のアレ(=資料)を載せているんですよ。名前を消して、ココだけ残してね。

「赤旗」に一度載せたんです。それは選挙のことだけです。「選挙のABC」とかいって、それだけ。

門脇「赤旗」も、最初にボーンと、これ出たら、後追いしてくれますから。

先に「赤旗」に出る? あの、もし、出たりすると……。

信子 (「赤旗」の記者は)栗田さんっていう人。社会部の。

門脇 社会部の栗田さん! 僕も、友達ですから。栗田氏、よく知ってますけど、来ました? ここへ?

信子 ええ。栗田さんと私、二日、会いましたから。

門脇 そうですか。

信子 そいでね、その時に、こう言ってましたよ。あの……。

醇浩 (話をさえぎって)いや、結局ね、うちでね、ほら、この共産党の弁護士を(金銭問題の訴訟の弁護に)使ったわけよ。札幌の高裁で。その関係で……。

信子 だから、(共産党の弁護士が)札幌から来て、そういう関係なので。

それでね、栗田さんの言うには、「(脱会者である)竜(年光)さんのところに僕の知っている人も行ってます!」っていう話はしてましたよ。

門脇 栗田さんとはそれで、いつごろお会いしました?

信子 うーんと、お正月前。

門脇 正月前?

あのね、栗田さんにも出る(=記事として掲載する)時には、僕が、出る直前になったら栗田さんに教えますから。こっちのほうから教えますから。

要するに最初に、最初に報じるところがどこかっていうのが、結構大きな問題なんですよ。マスコミの中では。

信子 そうですよね。(乗り気の様子)

門脇 それで、「赤旗」とか、要するに、党派性のあるところで、しかも政党の機関紙で出た場合に、伝播力がね、アレされちゃうわけですよ。

「ああ、これは日共か」っていうことになると、扱いにくくなるわけ。

(『週刊新潮』で最初にやれば他のメディアが)ワイド特集でも何でも、いくらでも後押ししてくれますから。

栗田さんには僕からよく言っときますから。彼らも後から(記事として)出てきますので。最初のパンチがものすごいものでないとダメなんです。

 以上の発言に示されるように、門脇は、はじめから騒ぎを大きくすることを計画していたのである。

 念のために付け加えておくが、この時点で彼は、信平の言う“事件”なるものの詳しい内容を聞いてもいないし、その真偽の確認もしていない。

「まず中身を確かめてから、記事にできるかどうかを判断する」という取材の常識によるのではなく、はじめから「記事にする」と決めた上で信平夫婦に面談しているのである。

 まさに「はじめから結論ありき」である。

 その上で信平に対し、「創価学会の役職解任の逆恨みや私怨ではなく、あくまで社会正義のための告発とすることが必要」とまで知恵をつけていく。事実、後に『週刊新潮』は、これを「社会正義の告発手記」に仕立てた。

 繰り返すが、これは「取材」ではない。「どうすれば創価学会を攻撃できるか」に的を絞った「仲間うちの談合」である。

 「談合」は、このあと、いきなり「どうやって創価学会相手の裁判を起こすか」の打ち合わせに入る。

醇浩 おたくさんにも弁護士さんはいるんだ?

門脇 ええ、いますよ。僕自身が創価学会と今、(裁判を)やってますから。

醇浩 ああ、そうかい。そうすると、結局、すぐ話は通るわけだな。

門脇 そうです、そうです。ただ、例えば、(新潮社が信平の弁護をすることになると)ほら、新潮社の顧問弁護士ってことになっちゃうから、これは避けなくてはいけないですよね。

醇浩 それ、いらない!

佐藤 それは、それで、相談する弁護士いますからね。

醇浩 うんうん。だから、なにも、どうのこうのって言うんじゃなく、要は、私はね、池田を告訴さえしてくれればいいんだ。

門脇 うん。

醇浩 こういう訴訟を起こしてくれれば、後はね、池田はね、裁判していかない。やめますから。

 信平醇浩の“訴訟さえ起こしてくれればいい、創価学会側は、絶対に訴えてこないから”という計算が、この話からも分かる。

 彼らの狙いは、法廷で真実を争うことではなかった。

 創価学会に対する嫌がらせの道具として、法廷を利用する、ということだったのである。

言葉巧みに信平に作り話を切り出させる

 録音記録を聞くかぎり、当初、信平信子が語った話は、門脇が聞いても、あやふやな、要領を得ない内容であった。

 そこで門脇は、話の内容を確認することを一旦やめる。それで「これでは記事にならない」と取材をやめたのかといえば、そうではない。

 誘導尋問のようなかたちで、よりオーバーな作り話を切り出させるよう仕向けていくのである。以下は、その一部分である。

門脇 これ、ものすごい重要なんですけども。その強姦未遂ということになると、かなりすごくないと強姦未遂というのは訴えられませんので……。

醇浩 いや、いいの。「強姦未遂をしたんじゃないか」って言って……それだけの話で。

佐藤 だからこれを今度、実際に、公に裁判にかけるということになると、やはりその内容に……。

醇浩 うん。そうそう、迫力がなけりやダメだっていうんでしょ?

佐藤 いや、迫力っていうよりも、真実が……。

門脇 実際は、真実が、どこまであったのかということが、かなりのものでなければ、法廷というものは動きませんしね。

だから、その辺のところで、単なるセクハラというかですね、親しみを込めたセクハラだったとかで済ませられるような内容だと、何にもならないし、損害賠償も門前払いになっちゃうし、ためにする訴訟であったと、逆にこちらが攻撃を受けてしまいますよ。

門脇 要するに、日本の社会というものは、例えば『週刊新潮』で、酒に酔った上司が、こんなことをした。それで法廷に出されるかといったら、それは一般の常識というものがありますから、「これは親しみを込めた何とかであった」とかね、「酒の上の……だから」(といって告訴にならない)。

かなりすごいものでないと、日本の社会は、アメリカの訴訟社会、イギリスの訴訟社会とは違うわけですよ。

醇浩 うん。

門脇 その点で、法廷も納得させないといけないし、もちろん一般の人も納得させなくちゃいけない。

信平さんのその怒りはもちろん僕、分かっておりますから、最大のパンチでいくために、今、話を聞いてるわけで、その事実関係がどこまで。かなりのものでなければ、これは……。

醇浩 かなりって、ど、ど、どの程度か……。

門脇 「からみついた程度」では、もちろんダメですよ。

門脇 いや、信平さんのお考えと、僕たちの考えは同じなわけですよ。何とかして、「訴訟を成立させたい」と思って聞いてるわけですよ。

それは(創価学会に対する)最大のパンチ力になるから、さっき言ったみたいに、「記者会見」もやる、「法廷闘争」もやる、「雑誌にも出す」。全部やるということは、これはもう、全員の合致した意見ですよね。

「それをやりたい」ということで、お話は始まっているわけなんですけど。

ところが強姦未遂の肝心な事実というものが、単にセクハラで終わるようなものを「強姦未遂」にするとなると、これは要するに宗教戦争の問題をその場に出してきたというふうに世の中から見られて、あまり顧みられないことになるわけですよ。

 訴訟することを決めたはいいが、いつまでたっても信平信子からは、具体的な話が出てこない。はじめからウソなのだから、当たり前である。通常の取材であれば、その段階で、「これはモノにならない」と判断を下すところである。

 ところが門脇は長時間にわたって、もっと「かなりすごい」話はないのか、と信平夫婦にたたみかけていく。

 追い詰められた信平信子は以後、シドロモドロになりながら、従来の作り話に尾ヒレをつけていく。

 だが、その作り話の詳細は、あまりにも低劣、荒唐無稽であるため、ここで

は、あえて略す。

 彼らの目的が悪辣なスキャンダル話を捏造して一個人を誹謗することにあった以上、その内容を繰り返し詳述することは、無意味であるばかりでなく、結果として、その邪悪な意図に加担しかねないからである。

「刑事」でなく「民事」でいこう

 とともに、信平の告白なるものが、あまりにもいい加減な話ばかりなので、談合では、司法当局の捜査を伴う刑事告訴ではなく、民事訴訟を起こそうという展開になる。

 そのプランを出したのも、以下のくだりで明らかなように、門脇であった。

 「訴権の濫用」への道は、まさしく門脇によって開かれたといえるだろう。

醇浩「強姦未遂」でないで、「婦女暴行」はどうだ?

門脇 同じですよ!

「素顔の暴露」(という内容)ね、これは(『週刊新潮』の記事で)やります。

これは約束します。こんなとんでもないヤッだということは、これは書けます。これはやります。

醇浩 それを終わって、あれですか? じゃあ、訴訟になるんですか?

信子 だから、立証するのが難しいって。

門脇 あのね、「精神的苦痛」を被ってるわけですから、「損害賠償請求」できますよ。

佐藤 そうですね。

門脇 うん、民事の訴訟できますよ。民事しかない!

信子 民事でやるしかないですね。

門脇 あのね、「強姦未遂」つてあんまりダンビラを振りかざさないで、民事でいきましょう。民事なら「精神的苦痛」をこれだけ被っているわけですから。刑事はちょっと難しい。最初の段階で。

それでね、後で刑事(訴訟)に転ずることができますから。

それは何かというと、ここで民事(訴訟)を起こして、それで『週刊新潮』も出て、そして、かつ記者会見もやって、テレビにも出ると。

醇浩 テレビにも出る。はいはい。

門脇 そうすると、向こうが、今度は人格攻撃に出てくる。要するに向こうのやり口って、あることないこと、また例によって言ってきますよね。

そうすると、今度は刑事(告訴)に切り替えるわけ、それはなんでやるかっていったら、名誉毀損でやるわけ。

門脇 いやあ、とにかくこれはね、こういうかたち(=民事訴訟)のほうがいい。

最初からダンビラ振りかざしてね。(難しい刑事告訴をする必要はない)

醇浩 いやいや、だからそれは、ね、ダンビラ振り回さない。あなたのほうでもって……。(無理だと言ったわけだから)

門脇「損害賠償」でやりましょう、「損害賠償」で!

信子 損害賠償でやればいいじゃない。

醇浩 いや、そういうふうにしてちょうだい。

 「訴権の濫用」でも何でもかまわない。記者会見を開き、テレビや雑誌で書き立てると創価学会は必ず反論に出るだろう。そうしたら、それを「人格攻撃」として刑事告訴すればいい。

 あらかじめ反論を予想して仕掛けを練っていたわけである。

 裁判の判決文で『週刊新潮』側は「事実的根拠が極めて乏しい事柄について、しかも、スキャンダラスな内容のものをいたずらに報道されるいわれはない」と断じられたが、この一文は、まさに彼らの邪悪な意図を明確に見抜いたものといえよう。

 こうして訴訟の進め方は決まった。次は、「どう騒ぐか」である。

門脇 それでも、記者会見は、やる戦略でいったほうがいい。

醇浩 記者会見? どういうふうにするの?

門脇 これね、メディアがセットすると、また『週刊新潮』が糸を引いてるってことになるから、あの……。

佐藤 うん。

佐貫 「被害者の会」で!

醇浩 ああそう、なるほど。

門脇 記事は、「ガーン!」てやりますから。ただ、(新潮は)記者会見仕切ったりはしませんので、『週刊文春』なんか、よく記者会見仕切ったりして、問題になるんです。

醇浩 うん、知ってる知ってる。

門脇 これはね、マスコミはそういうことしちゃいけないから、だから、そっちでセッティングして。

 「記者会見を行い、大騒ぎしよう。しかし『週刊新潮』が会見をセットすると裏で糸を引いていると見られるので他の者にやらせる」。門脇は、ここまで裏工作をしていたことが分かる。

 この筋書き通り、平成八年(九六年)二月二十三日、東京・新宿ワシントンホテルで信平信子が記者会見をした。

 この会場を手配したのは、この記録に出てくる妙観講員・佐貫修一の関係者であった。

 ちなみに司会は、先にも紹介した売文ライターで、信平と因縁浅からぬ乙骨正生。呆れてモノが言えないとは、このことであろう。

 また、同年二月十六日発売号の宗門機関紙「慧妙」には「緊急予告 ついに発覚!! 乞う御期待」と『週刊新潮』の信平手記(二月二十二日号)の予告が載っている。

 「慧妙」を実質的に編集しているのは、日蓮正宗の妙観講であるといわれている。

 何のことはない。妙観講副講頭の佐藤せい子と支区幹事の佐貫修一が最初から関わり、『週刊新潮』とグルになっていたのである。

 判決でも、これほど短期間に信平手記が新潮に掲載された背景について「マスコミとの接触、取材などについて首尾よく段取りが整ったというのは、論理的可能性としてあり得ないこととは言えないが、経験則上、明らかに不自然」と鋭く指摘。

 つまり、信平手記が、ずいぶん手回しよく『週刊新潮』の記事になったのは不自然だというのである。

 それもそのはず、もともと学会攻撃の作戦を立て、一切の段取りをしていたのは、信平ではなく、『週刑新潮』だったのである。

 その舞台裏が今までのやりとりで、よく分かる。

弁護士すら「これでは話にならない」

 北海道・函館での談合の直後、信平信子が上京。

 そこで新潮社側のM弁護士から、そもそも本当に訴訟が起こせる内容なのかどうか確認を受けることになる。

 結果は、おそらく門脇らが予想していた通りのものであったろう。

 ちなみに、ここでは省略するが、原資料では、この弁護士との面談の前に、すでに『週刊新潮』で信平の捏造手記を六ページを使って掲載することが決まっていた旨が明かされている。ここで門脇は言う。「それもメイン記事で。『大々的にいきますから』って言ったら、『それはすごいな』となって。それで記者会見はしてー。そうすっと次は、ほかのメディアがドンドンドンドン来ますから、大きくなると思いますよ」と。

 弁護士が内容の真実性を確認する前に、すでに「メイン記事で六ページを使ってやる」という結論が出されていたのである。まさに本末転倒。これが『週刊新潮』の手法なのである。

●二月六日(火)、M弁護士に会う信平信子。

 門脇が付き添う。

M 弁護士のMです。はじめまして、どうも。

門脇 お忙しいところ、恐縮でございます。

信平 はじめまして、信平と申します。

M 僕、渡してなかったっけ?(門脇に)名刺、昨日、渡したよね?

門脇 昨日、いただきました。あの、札幌の信平さんでございます。

M それじゃ、ちょっと、やりましょう。えーと、お名前、何ていったかしら。信子 信平……、私は信平信子と申します。

M どういう字を書きましょうか。

信子 しんぺい、のぶたいら……。

門脇 信ずる平ら、信ずる子ども。

信子 のぶこです。

M 生年月日はいつでいらっしゃいますか。

信子 昭和二年五月二十九日です。

M 二十九日生まれ。昨日、ちょっとですね、門脇さんのほうからお話をいろいろ。信平さんのほうから、伺った話を聞いて、で、私のほうでちょっとメモさせていただいたんですが、弁護士としてですね、詳しい、ちょっと話を伺うということ、訴訟を起こす、あるいは起こせるかどうかという、そういう問題でですね、そういう判断のもとに、話を伺っていくわけなんですが、そういうわけで、ご主人には今日、遠慮願ったということなんですが、門脇さんがいるところで、かなり、私のほうは細かい、非常に、その、込み入った話までお伺いするけれども、それでよろしいですか?

信子 はい。

M ご一緒でよろしいですか。

信子 いいです。

「証拠」はあるのか?

第一回目の「事件」なるものについて。

M あのね、理由はいらないんで、そういう(事件の)事実があるかどうかってことなんだけど。「どうしたの、そんな頭打ってけがしちゃったの?」とかね、「なんで、洋服がそんな破けてるの?」とか、いうようなこと(周囲の人に)言われたことはないですか?

信子 洋服はもう、あのーそのー、そこの部屋に入ったときに……。

M いやいや、だから理由じゃなくて、そういうこと、言われたことないですか?

信子 ないです。

M 洋服はどうしました? いつ、どういうふうにしたんですか?

信子 もう、あのー、全部、自分の、あのー、だいたい大沼(=研修所の所在地)へ行くときは、五、六着か、七着くらい持っていきます、洋服。毎日、着替えるから。そいで、全部こう、丸めちゃって、ナイロンの袋みたいなものに入れちゃって、そいでこう、毎日、ゴミの車が来るんです。

M (イライラした様子で)要するに、ゴミに出しちゃったの?

信子 ゴミに出した。

M 要するに、破かれたもの、そういうものは、ひとかけらもなく残ってないということですか?・

信子 残ってないです。

第二回目の「事件」なるものについて。

M 分かりました。それじゃね、時間も(限りが)あるんでね、ちょっと伺うけど、こういうことがあって、破れた洋服や何かっていうのは、どうされたんです?

信子 だから、ここ(=プレハブ喫茶・ロワールの中)で着替えました。

M 着替えて? 着替え、持ってたんですか?

信子 ちゃんと持ってきます。この、掃除するときと、着替えの、あのー……。M じゃあ、着替えて、で、どうしたんですか?

信子 それを、丸めて、そして、ここにゴミ、いつでも取りにきますから、ゴミのあれに、破いちゃって……。

M そんなとこにゴミ入れたらば、そんなものがあったらば、もしも、そのゴミが発見されたらば、えらいことになると思いませんでしたか?

信子 いや、それは、発見されないと思ってました。えー、あのー、もー、そういうものは、誰も広げてみる人は。だいたい、生のものとか、魚の骨とか、それから野菜のものとかって、あのー、朝に入れたものを、昼に、腐っちゃいますから。

M だから、要するに、ゴミで捨てちゃったんですね!

信子 えー。捨てちゃったんです。

「証人」はいるのか?

M で、襲われたことも、これも誰にも話さなかったんですか?

信子 話さなかったです。ただ……。

M 気がついている人、いないんですか?

信子 ただ、あの、「ここに傷ついてるね」とかって言った人はいました。

M 誰に言いました?

信子 いや、婦人部の……。

M だから、今、覚えてますか。誰に言ったか。

信子 いや、言ったんじゃなくて、来た婦人部が……。

M いや、だから、来た…(婦人部で)気がついた人は誰ですか?

信子 そうだねえ、あのころは、誰が来たんだろうねえ。(とぼけ始める)

M ね、「信平さん、あなた、おでこ傷ついてる」とかね、「ひざがひどいね」とか言った人はいますか?

信子 今は、もう年とってるから、どうしたか。私よりも、やっぱり年配の人だから。

M 誰だか分かりますか?

信子 んー、分かるけど、今、病院に入院してるんでないかしら。亡くなったのか、このごろ、あの全然、消息がないから。そういう人が、ま、一番、先に来る人で、全然、創価学会とは、あえて、どこに行ったか分からない。(次第にシドロモドロになる)

M 分からない?(念を押す)

 当然のことながら、いい加減な話であることは一目瞭然である。

 信平は証拠となるべき洋服は全部、ゴミ袋に入れて捨てたという。

 証人についても「もう亡くなったんじゃないかな」ととぼける。

 本当なら懸命になって消息を求め、捜そうとするはずである。

解任は借金問題ではなく、学会に意見したからとウソ

M どうして、そういう話をする気になったんですか?

信子 私、池田大作に手紙書きましたから。もう、あなたには、あなたにはこうこうこうこうされましたと。あなたにはついていけませんということを。平成三年に、私は手紙を書いたんです。

門脇 よ、四年じゃないですか?

信子 (慌てて)平成四年に!

門脇 ね。

M その手紙は、そのまま取ってあるんですか?

信子 いや、それはもう人に見せられるものじゃないから。破いて……。

M じゃあ、「そういう手紙が来ました」と、「(手紙が)池田のとこに行きました」ということを証明できます?

信子 いやいや、あの書留速達でやったんです。

M じゃ、その書留のあれ(=控え)は残ってますか?

信子 いや、それもー、もう、張ってあったんですけどもー。あのー、なんで、その書留速達なんかってまあ。原稿用紙に書いてー、こういう袋に入れてー。(次第に話をはぐらかす)

M (イライラした調子で)分かりました!

信子 えー。

M 例えばね、内容証明でやったということでもないわけでしょ!

信子 ないんです。えー。

M それから書留でやったんだけども、その書留の配達がいつされたかとか、そういうことも分からないわけですね。

信子 えー、戻ってきませんから着いた(と思う)。

結論として訴訟は無理

M 何かやっぱりないとダメだ。少なくとも裁判ではダメだ。全部、こう聞いてきたけど。全部聞いて、まったくそういうあれ(=先入観)なしに、ぼくは聞いてきたけど……。

M だから、ちょっとね、今日、今から帰って、そういう見方でね。

信子 はい。

M いろいろ思い出してごらんなさい。

信子 はい。

M 要するに、プラスアルファが何か欲しい。それをよーく、もう一回ね、今日ずーっと話したことで、自分の記憶もよけい鮮明になってきてると思うので。

信子 えー。

M 昭和四十八年のころの、あのときの状況から、こうやって(忘れていたことが)浮かんで「あっ、あの人!」っていうか、「あっ、あの物!」っていうか。(証人や証拠品を思い出してほしいと)

信子 えー。

M そういうことも、一回ちょっと、ここの場じゃなくて考えてごらんになったらどうですか?

信子 はい。

M ねっ。

信子 ええ。

M それが出てこないで、訴えをもし起こしたとすれば、もっと悔しい思いしますよ。

向こうの言いなりになって「大ウソつきの、何とかだ」と、いうふうに言われて、それが自分で結局、弁明できなかったときは、もっと辛い思いしますよ。

だから、とにかく、まず、もう一回、真っ白の……白紙の状態に戻して。記憶を、四十八年の時から。

「今日の弁護士は、私(=信平)が言うことは信じられる(と言う)、だから、遂に私(=信平)の言ってることを支える、私(=信平)が言ってることが真実であるといわれる何かを探してるから、そういうものを一つでも二つでも思い出そう」という考えで、ちょっとやってごらんになったらどうです。

少なくとも今日伺ってるなかで「訴えを起こせ!」と言われても、これは難しい。「私の言うことを信じてください」だけではね、やっぱり訴えはまずい。何かあれば別ですよ。

信子 ええ。

M 恥ずかしい話、私の経験から、そういう、どっちが言うことが、こう、信じられるか。それはもちろん女性の言うことだと思うけれども、裁判で「こっちがやった」と。そういうようなことを言うには、そういう証拠があって「バチッ!」と言ったんだということまでお話できたらと思うんで。

そこまではないにしても、何かあなたの言うことのほうが信じられるというものを、支えるものを探してください。

 この章の冒頭で述べたように、信平の作り話は、面談した弁護士ですら、「話にならない」と結論づけざるを得ないものだったのである。

 それもそのはずである。

 もともと事実無根の捏造話である以上、当然のことながら、“事件”なるものを裏づける証拠もなければ証人もいるはずがない。

 到底、訴訟を維持できる内容などではなかったのである。

 だが信平側は、この後、別の弁護士を立てることで、民事訴訟の提起を強行する。

 ここでは紙数の関係上、割愛するが、その弁護士も記者・門脇護の紹介であったことが、この資料にハッキリ記録されている。

 そこまで訴訟にこだわった理由は、ただ一つ。

 はじめから「裁判を起こして騒ぐ」ことが狙いだったからである。

 以上、読者には、一切の裏事情がお分かりいただけたかと思う。

 最初から、まったく事実無根だった信平信子の作り話を、「その程度では裁判を起こせない」と迫って、よりオーバーなそれに仕立て上げさせたのは、誰だったのか。

 事実関係も確認しないまま、まず「訴訟を起こすこと」を既定の路線とし、それも厄介な刑事告訴ではなく、訴えを起こせば、ともかく裁判にはなる、民事でいこうと知恵をつけたのは、誰だったのか。

 デッチ上げの記事を出すと同時に、記者会見を開いて、「正義の告発」を装うかたちで騒ぎを起こせとけしかけ、段取りを進めていったのは、誰だったのか。

 そして、検事出身の弁護士が、当事者の話を聞いていてイライラしたほどのデタラメ話を、それと知った上で別の弁護士を紹介して訴訟を強行させたのは、誰だったのか。

 一連の狂言騒動は、すでに詳しく述べたように、政界、宗教界等、利害の一致する諸勢力の連携によって、まともな市民社会の常識では、到底考えられないほど、大きな騒動となった。

 しかしながら、その火元をたどってみれば、何のことはない。一夫婦の、取るに足らない、かつバカバカしい作り話であった。

 どう転んでも、社会の耳目をそばだたせるような騒動には発展しようのない、くだらないウソであった。

 その取るに足らない低劣なウソに、はじめから特別な意図をもって色をつけ、道筋をつけ、かかる騒動にまで仕立て上げたのは、誰でもない。『週刊新潮』の記者だったのである。

 事実経過に照らして考えるならば、『週刊新潮』こそ、今回の騒動を引き起こした張本人である。

 けだし、恐ろしいマスコミがあったものである。

 とともに、筆者は思う。

 『週刊新潮』が捏造した“事件”は、果たして、この狂言騒動だけだったのか――と。

 同誌は、戦後、数々の人権侵害報道によって、日本で最も名誉毀損訴訟を起こされ、敗訴してきたことで知られる。

 その報道の少なからぬ件数もまた、同様の手口で捏造されてきたものではなかったか……。

 いずれにしても今回の騒動における『週刊新潮』と、その中心的役割を果たした記者・門脇の責任は限りなく重い。

 かりに『週刊新潮』の見出し流に言うならば、こうなろう。「こんな男が、何の法的、社会的責任も問われない日本の社会とは何なのか」

 新聞、雑誌の記事には、取材不足や判断ミスなど結果的に虚報になった例も少なくない。しかし意図的な捏造は、メディアにとっては自己破壊的行為である。

 そのような愚かな行動を、なぜ同誌は実行したのだろうか。

 その一つは同誌の基本的な編集方針にあるものとみられる。

 同誌の生みの親といわれる故・斉藤十一相談役は、生前、「どのような編集方針か」というインタビューに対して、「読者が関心、興味を持つものはなにか。それは女とカネと事件だ。『週刊新潮』は人間の俗物性に応え、この三つを基本にする。文芸には正義も真実もない」と揚言してはばからなかった。まさに“語るに落ちた”といえるだろう。

 報道でも情報でもジャーナリズムでもない。同誌は文芸だというのである。なるほど文芸という作り話なら、社会正義も倫理も品格もいらない。事実かどうかの取材も検証もいらない。

 ただ大衆の俗物性に応えるという売らんかな主義の路線を歩めばいいだろう。

 しかし読者は、まさか同誌を文芸誌とは思っておるまい。その虚と実の大きな落差の“影の部分”に逃げ込み、人権軽視の記事を作り続けたのである。

 その反人権誌『週刊新潮』が創刊四十五年を迎えたとし、平成十三年(二〇〇一年)三月八日付の記念特大号では「四十五年を飾った画期的な記事」なるものをピックアップ。その前文に誇らしげにこう書いた。

 「画期的な視点と取材で社会にインパクトを与えた……」

 臆面もなく、よく言えたものである。本来なら、

 「画期的な人権侵害と歪曲、捏造、虚報によって、社会に多大な害毒を流した……」とすべきではないか。

 そして採録された“画期的な記事”も関係者から抗議を受け、名誉毀損とされたものがズラリと並ぶ。

 これらの犯罪的記事によって、どれだけ多くの人たちが人権を侵され、侮辱され、怒り、苦しみ、悔し涙を流したか、その重みを同誌は一度でも考えたことがあるのだろうか。

 もう一点、誰のため、何のために書くかという問題意識である。

 門脇は誰のために、こんな捏造をしたのか。

 それは松田編集長(当時)との私怨の合体といえるだろう。松田は山崎と極めて近い存在で根っからの創価学会嫌いである。度重なる訴訟に敗訴し、編集長としての面目は失われ続けた。創価学会に対する恨みは骨髄に達している。

 一方の門脇も、北海道の「白山氏に対する人権侵害報道」で、名誉毀損の訴訟を起こされ、敗北するのは目に見えていた。何とか学会に意趣返しをしたい。

 こうして二つの私怨は相乗されたのである。

 門脇にとって信平信子の話は期待から大きく外れた。話はウソで、これでは記事にならないと直感したにちがいない。

 しかし盲目的な怒りの感情に支配された彼は、もはや迷走するしかなかったのだろう。

 新聞であれ雑誌であれ、記者が理性を失って、ただ感情に走った場合、大きなミスを引き起こす。

 これは、その典型であった。

 彼は一時的には編集室のヒーローになったろう。しかし今や類まれな“捏造記者”として汚名を末長く残すことになる。

 まさに『週刊新潮』の特質、特性の極致が、この「信平狂言訴訟」であった。だが、すべてが露見し、これで“一件落着”と考えるべきではないだろう。

 人間の退廃性の集積ともいうべき、こうした人権無視は、ここに登場したような人物や週刊誌が存在する限り、いつまた発生するかもしれない。

 今回のような根っからのデッチ上げは、もはや論外で批評にも値しないが、週刊誌はじめ様々なメディアは今、多くの課題を抱えている。

 作家・辺見庸氏は著書『不安の世紀から』(角川文庫)でのマスメディア批判でフランスの作家レジス・ドウプレの言葉を引用し「イメージが論理を駆逐している」と指摘する。

 「信平狂言事件」記事を見ても、そこには何ら論理はない。正しい視点もない。ロジックの正当性は皆無である。あるのは“創価学会憎し”のイメージだけだ。しかも、あまりにも低次元、無責任な“錯乱”に包み込まれていたのである。

 さらにドウプレは「状況のヒステリー化、短絡化」、そして「大衆迎合主義」を挙げている。

 『週刊新潮』は自らデッチ上げた虚構の芝居の幕をもはや下ろすこともできず、ますます「ヒステリー化」し、三十五回に及ぶ狂気を演じなくてはならなかった。

 通常の記者、編集者なら、どんなに甘いエサをちらつかされても、頭のどこかで「これはおかしい」という制御の警報が鳴るものだ。

 それが「信平狂言記事」の場合、警報が鳴るどころか、はじめから警報器を放棄し、短絡的に反創価学会の道を突っ走ったのである。

 このような週刊誌の虚構性、構造的な退廃、卑劣なトリックなどの無軌道ぶりには、かねてから批判が集まってきた。

 しかし、いつまでたっても改善されないのは衆目の一致するところだ。つまり一部の週刊誌は“自浄作用”など持ち合わせていないのである。

 追っても追っても飛び交う不潔なハエさながら、再発を根治することなど不可能と見るしかない。

 では放置するだけなのか。いや日本が法治国家であるからには、司法の手に委ねるしか対応策はあるまい。例えば、審理のスピード化と罰則強化が望まれる。日本は長い間、“名誉の価値”は安く抑えられてきた。それは人格権の軽視、また報道の真実性や公益性にのみ重点を置き、人権擁護が争点にならなかったことなどが理由だった。

 しかし現在、司法界からも賠償金アップの声が上がっている。

 人権に対する社会通念の高いアメリカでは、真否の確認もなく、ウソと知りつつ記事を掲載した場合は、「懲罰的損害賠償」として数十億円もの賠償金が科せられることも珍しくない。日本でも賠償金の一桁、二桁もの大幅アップがインチキ記事再発防止の最大の対策となるにちがいない。

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