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第三章

対談

「週刊誌ジャーナリズムはどこまで狂うのか」

 ここまで事実をもとに構成してきたが、最後にもう一つ客観的な視点を取り入れるという意味で、私は対談を試みた。長年、戦時下ジャーナリズムの研究をされ、軽佻浮薄な現代のマスコミに鋭い目を向けておられる評論家の高崎隆治氏に、『週刊新潮』の一連の記事について、どうお考えになるか、ぜひ、伺ってみたかったのだ。

 以下は、『週刊新潮』の信平記事を前にしての、氏(写真・右)との対話である。

最初から、いかがわしかった手記

山本 今回は『週刊新潮』のやってきたことについて、お話を伺いたいと思っています。こうやって記事を並べると随分あるでしょう。全部で三十五回ですよ。しかも、ある号では記事とグラビアの二本立てです。

高崎 悪質ですね。本当に。

山本 ええ。それと、合併号というのがかなりありまして、つまり、それだけ長く店頭に並ぶ号には無理をしてでも記事にして入れてるわけです。お話ししましたように、悪質な『週刊新潮』記者と、記事になることの意味さえ分かっていない信平夫婦が結託して誌面を私するという前例のない出来事なのです。

高崎 記事が出た最初の一回目、二回目までは人に教えられて、「どう思うか」って聞かれまして、本屋で買って読んでみたんです。正直、そのときは妙な感じがしました。なぜ、このようなものが載るのかと。信平信子の手記だということで、もちろんリライトされているのだろうけど、それにしても、この文章は物凄くいかがわしい。これを編集者が気づかないというのは、よほど新潮社の編集者というのは愚かなのかと。基礎的なことというか、文章作法の初歩も知らないのかなと思ったのです。二回目のを読んだときに、これは一〇〇%ウソであると確信しました。で、当然これが分からないほど編集者は愚かではないだろうから、これには裏があるなと思ったんです。

山本 週刊誌を読む側の心理としては、不審を抱きながらも「ひょっとしたら」みたいな、どこかに信憑性があるように感じてしまいます。また、そう感じさせるように作られている。それが狙いなのでしょうから。

高崎 ええ、「随分いかがわしい文章だけど、ちょっと待てよ」と思うんですね。私は、週刊誌の中では、この問題以前は『週刊文春』が最も悪質だと思っていました。で、その次は講談社かなと。『週刊新潮』は悪いといっても三番目か四番目かそのくらいで、まだ良心があるだろうと思っていたというか信じていたんですよ。だから、信平記事の顛末を知って、乱暴な言い方ですが「編集者、編集長含めて愚かなヤツだ」と思うようになっちゃったんです。あれが『週刊文春』の記事だったら、はじめから疑って見ましたが。と、いいますのは私は二十代から四十代の半ばまで高校の教員をやっていまして、そのころ週刊誌がブームになりました。

当時、職員室の机の上に置いていても、校長がちょっと見ても何も言わなかったのが、『週刊新潮』だけなんです。あれだけは何も言わなかった。というのは、あのころの『週刊新潮』はヌードを載せていなかったんです。ほかの雑誌は、ほとんど載せてあって「うーん、困ったもんだね」と言われていましたが、『週刊新潮』はなかったんですよ。そんなことも、私の頭に残っていたので、『週刊文春』が一番ワルで、次は講談社の『週刊現代』で、『週刊新潮』はそこまで悪くないだろうという先入観があったのですね。それさえなければ、最初からデマだと気がついたでしょうね。

山本 まあ、デッチ上げ記事というのは昔からありました。「朝日新聞」の共産党・伊藤律架空会見記事。それから同紙カメラマンのサンゴ傷つけ事件など。そういうケースでは編集局長以下、責任を取るわけです。でも、この信平記事の場合には『週刊新潮』は平然としています。罪だという意識がないんですね。

高崎 そうですね。私は二十年ほど前に、講談社に五年ほどいたことがあるのです。ただ、部署は週刊誌ではなく昭和万葉集編纂部という全二十一巻の全集ものを手がけていたのですが、他の部署の者と顔もあわせるし、話もしますから様子は分かるんです。『週刊現代』は、そのころ、編集長が「これは裏が取れているのか」と全部チェックしていました。ところが、今回、山本さんの原稿を読ませていただくと、この『週刊新潮』はどうやら編集長がチェック機能をもっていないばかりか、編集長自ら確信犯的な動きをしている。これだと、どうしようもないですね。

山本 こういう記事を作る場合、普通は記者が取材に行って取ってきたネタをデスクや編集長が見て、アンカーというライターに書かせるというシステムがあって、それが時々、イカサマ記事を作るようなベースになることもあるのですが、これなんか、もともとゼロのところで状況をつくってますからね。そこが唖然としてしまいますね。

高崎 ええ。講談社の場合ですとアンカーは、昔、芥川賞、直木賞を取った作家で、今はもう作品を書いてないという人たちがやっていました。ですから良心的なところがあったんですね。ただ、やっぱり『週刊現代』も、随分くだらないことをやりましたんで、私は部署が違うから言いたい放題のことを言っていました。

それを言えたのは、会社の幹部で当時の服部副社長という人が、私の中学時代の剣道部の大先輩だったので、「文句があるなら副社長に言ってくれ」と開き直ったものですから。だから言いたいことを言えたんですね。

山本 今、高崎さんがお話しされた編集長の記事チェックですけど、必ずされていたのですか。

高崎 はい、講談社の場合、月刊誌も週刊誌も編集長が最終的に確かめます。その前に編集次長もいますから、何段階ものチェックがあります。裏が取れているのか、事実に即したものなのかと。万一、裏の取れていない記事が出たときなど、担当の記者も、もちろん怒られますが、編集長が常務に呼びつけられて責任を問われます。それでも、いかがわしい原稿が出ることがあるんです。それくらいやっても完璧ではないわけです。というのは薄っぺらな編集者や記者が売れればいいんだ、当てればいいという自分の功名心に走るからです。

山本 なるほど。それにしても記者にそういうことがあったとしても、上の方が冷静にそれを吟味し、チェックすることになっていたから、比較的正常に動いていたということですね。

高崎 ええ、そうなんです。これは当時の『週刊現代』『月刊現代』の記事作りでした。今は知りませんが。

山本 やはりそうですか。私はずっと社会部(読売新聞)にいたのですが、社会部には怖いデスクと呼ばれる次長がいるんです。非常に厳しくチェックされました。印刷に回す前に取材した当事者の確認だけでなく、必ず傍証を取れと言われました。入社した時から、そのことは徹底して教え込まれましたね。困るのは、時間がないのに、確認を取りに行った先が留守だったりした場合です。でも取れるまで戻ってくるなと言われまして途方に暮れたものです。一方だけを取材しての「片聞き原稿」は絶対にだめだ。これは鉄則ですね。

高崎 まったくそうですね。

山本 この『週刊新潮』の信平記事は、そういう取材のセオリーを、はじめから崩壊させていますからね。犯罪ですよ。単なる功名心だけでは説明がつかない。これは悪意です。ところで、先ほど、この記事の一回目を読んでいかがわしいと感じられたと言われましたが、どの辺りにそれを感じられたのでしょう。

高崎 私が思うに、週刊誌であって、学芸雑誌ではないわけですから、もっと具体的に書けるはずだと。それがあまりにも曖昧すぎる。私は大学が文学部の国文学出身でして、近代文学を専攻しました。私の先生は片岡良一、現代文学を学問として定着させた研究者のナンバーワンといわれている方でした。大変いい先生に教えていただいたと思うのですが、その先生の文章の読み方というものを、私はいまだに守っているのです。

山本 具体的にはどういう読み方ですか。

高崎 ある一つのテーマについて、あるいは一つのセンテンスについて、何でこういう言い方をしたか、なぜ、この単語がここに挟まってるのかということを、ああでもない、こうでもないと裏からも表からも、上からも下からも、あらゆる角度から見るんです。それで、ああも言える、こうも思える、いやしかし、ここのところがおかしいのじゃないかと。センテンス一つで九十分も話をされるんですよ。そういう先生に教わったものですから、自分で文章を書くのはヘタクソですけれども、人の文章というのは分かるつもりなんです。

山本 なるほど。

高崎 例えば作家の里見クが小説を書いた。戦後の初めですけど。「美事な醜聞」というタイトルの小説で、このタイトルを見ただけで中身が分かるというんですね。つまり、スキャンダル(=醜聞)というのは社会通念から非常に芳しくない、好ましくない語である。ところがここに「美事な」と付けたことで、里見は、スキャンダルは必ずしも反道徳的なものではないのだという考え方をもっているのだと。

山本 つまり、スキャンダルにも文学性があるということですね。

高崎 ええ。こういうふうに、たった一言の単語やセンテンスでも「これをここに使った意味」というのを叩き込まれてきたものですから。それなら、お前もっと文章がうまいはずだと言われそうですけど、自分の文章はだめで、人の文章は気がつくんですよ。

山本 なるほど。では、第二回の一〇〇%ウソだというのは、どこら辺でお感じになりましたか。

高崎 あの、二回目だったと思うのですが、ひょっとしたら三回目かもしれません。前に言ったことを(信平信子が)、ちょっと変えました。訂正というか修正というか、しましたよね。それを読んだ瞬間に思いました。こんな重大なことを修正するとはどういうことだ。そのことはもう、頭の中にこびりついて、何月何日の何時何分ごろ、どこ、というのは、もう、きちっと言えるはずであると。

山本 一番根幹になる部分がズレるということは、もうすでにフィクションであると。

高崎 ええ。これはウソだと。

山本 私の知り合いに週刊誌の記者がいるのですが、この記事を見て首をひねっていました。「ストーリーは、ちゃんと描かれているけど、登場人物が、その人であるという臭いがしない。他の話をなぞって書いたモノだろう」と。高崎さんが先ほどおっしゃった、「曖昧すぎる」というのは、そういう意味での曖昧さですね。非常に丁寧に書き込まれているのに、どこかおかしいと。

高崎 だから読んでいてね、イメージがはっきりしないんですよ。漠然とするんです。

山本 そう、イメージですね。まるで人形が動いてるみたいで、人間としてのリアリティーがないですね。また、この門脇記者という人物についてなのですが、「記者会見をやって」「テレビにも出てください」と騒ぎを大きくしようとしています。

彼は取材をして記事にするのではなくて、「ああしましょう、こうしましょう」と取材対象を仕切って動かす。おまけに「これは裁判として民事訴訟でいけるぞ」なんて言うわけです。私自身も新聞記者生活は長かったですが、そんな記者には、お目にかかったことがありません。

高崎 ないでしょう。普通は。

言論のテロ

山本 これは立派な誘導ですね。

高崎 そうね。教唆ですかな。煽動かな。

山本 捏造。ヤラセ。他に類例をみない悪辣さです。

高崎 まったくそうですね。

山本 それと、九州のほうのある集会では信平へのカンパと言って、お金を集めたりしました。もともと捏造された手記を元に、カンパ金を集めようというのですから、詐欺的な行為にまで加担したことになりますね。

高崎 ははあ。なるほどね。

山本 マスコミ人がこういうことをやってしまったら、世の中はメチャクチャになってしまいますね。

高崎 ええ。何でもできますよね。私は新聞社の体験はないから新聞社のことはよく分からないんだけど、記者で親しいのは朝日新聞にいた本多勝一氏で、もう二十年の付き合いですが、彼に聞きますと「戦前から大新聞の記者は学芸部であっても、社会部であっても皆、ある種の誇りがあった」と言ってましたね。ところが「そう言っちゃ悪いけど出版社は、まあ、岩波書店のようなのは別だけど、その他の出版社には全然、その出版社の記者だ、編集者だという誇りが薄い」というようなことを言っていましたね。たしかに講談社を見ていても薄いですね。新聞記者はみんな誇りをもっていますね。だから週刊誌にしても、新聞社系の週刊誌も、ときには問題を起こしますけど、もう問題を起こすのは皆といっていいくらい出版社系の週刊誌ですね。『文春』、『現代』、『新潮』、みんな出版社系ですね。

山本 話は戻りますけど、門脇のような記者が煽動したり教唆したりする。それでデッチ上げた記事が大きく社会を動かしてしまうというのは本当に問題です。言い方を換えると、ピストルを持った警官が、そのピストルで強盗をするようなものでしょう。自分が持っている一番大きな表現という力を、世の中に弊害を撒き散らすために使うというのは許せませんね。よほどきちんと取り締まらないと。

高崎 そうですね。野放しの状態ですから。

山本 新聞にも誤報はあるんですよ。認識の違いなどで、ごくまれにですけどね。でも、自分が間違って書いた記事というのは、ずっと心に残ってるんですね。

東京の下町で通り魔殺傷事件がありました。「あの子が似ている」という被害者の証言があって、隣近所からも、あの少年ではないかと噂になっていまして。

それで、記者たちがその子をマークしてたんです。ところがある晩、「オレはこれから天国へ行く」って、いなくなったんです。記者連中も驚きましてね。

自殺するんじゃないかと。で、みんな急いで社に戻って記事にしたんです。そうしたら、その子が夜中にひょっこり帰ってきたんですね。なんと「天国」っていう名前のパチンコ屋に行ってたんです。間に合わずに後から「間違いだった」と出した新聞もありましたけどね。

高崎 山本さんの場合は、間に合いましたか。

山本 ええ。間一髪のところでストップしたんですけど。一応、原稿を作りました。これなどは笑い話に終わりますが、重い記憶はいつまでも消えません。本人の両親に当たり、行きそうなところを聞いていれば防げたのですから。「片聞き」で記事を書くのは危険です。

ですから記事にするときには注意に注意を重ねないと。しかし『新潮』の場合は片聞きどころか、最初から「仕掛けよう」と決めてデッチ上げた記事ですから、お話になりませんが。

高崎 これは、もう信平夫婦が乗っかっちゃってる感じなんですね。動かされている。操られているという感じですね。

山本 まあ、信平自身もよく分からないうちにやっていて、本気になってしまうのかもしれませんね。

高崎 本気になるというのはあるね。そういうことあるんですね。

山本 信平の場合、自己催眠のようなところがあるかもしれませんね。本人は役職を解任された恨みがある。それをいろいろ言われる。すると、いつの問にか悲劇の主人公みたいになってしまう。周りによってたかって、そうされてしまったともいえる。

高崎 はい。本人もそういう、脅してやろうという気持ちがある。それを利用しようという個人、集団が周りに集まってきたということですね。

山本 三十五回ですよ、一誌だけで。『週刊新潮』が仕掛けて、他誌がやらないから、これでもか、これでもかというふうに、やる。今までにこういうケースってありましたかね。

高崎 ないでしょう。まあ、二、三回というのはあったと思いますけど、こんなのはないですよ。

山本 不思議ですよ。オウム真理教の松本教祖に対して各誌メディアが記事にしたことはありました。でも一誌に相当すると、それほどたくさんの量ではないですよ。この場合は他誌が手控えているのに、自分たちが祭り上げたから、やらなければいけないということはあったにしても、一誌で三十五回も特定の人物を個人攻撃してる。

高崎 これはいわばテロです。

山本 ああ、言論のテロですね。しかも、こういうのにスクープ賞まで与えて。それについても何の反省もない。

高崎 異常です。誰が読んでもおかしいのに賞まで与える。私は昔の『週刊現代』や『月刊現代』の人間しか知りませんけれど、あのころの講談社の人間ならば、週刊誌であろうと月刊誌であろうと、この信平記事はおかしいと分かります。これが分からないようなのは講談社には、いなかったはずです。

山本 それなのに、そこに対して平然と賞が贈られている。

会社ぐるみの犯行

高崎 編集者が「信平」に騙されたのではなくて、「これはウソだな」と承知をしていて編集者が仕掛けていることだと思う。そんなことも分からなければ編集者とはいえないでしょう。講談社の場合、一番多いのは早稲田大学(卒業)なんです。

早稲田が圧倒的に多い。その次は東大(卒業)ですけど。まあ、どっかの部署には、おかしなのもいるかもしれないけど、私の知っている『週刊現代』も『月刊現代』の人間もみんな優秀ですよ。

山本 するとやっぱり最初に『週刊新潮』が作った作文みたいなものは、他誌の編集者も当然おかしいと気づいていただろうけれど、とりあえず信平手記が「受賞」ということになったときには、「まあ週刊誌として、世間の目を引き、話題になったのだからスクープ賞でもよいのではないか」というぐらいの意識しかなかったのでしょうね。

高崎 そうでしょうね。

山本 でも、その陰には一人の人物を個人攻撃していることも分かっていただろうし、まして裁判で事実無根の話であったとの結末を知ったときに、この記事に賞を贈った編集者たちの中で「申し訳ないことをした」というような意識というのはどうなのでしょう。

高崎 そうですね。そんなに深く考えていませんね、きっと。「まずかったな、もう少しあそこで、こうすればよかったかな」ぐらいのものでしょう。

山本 プレイ感覚ですね。真面目な選考や審査ではない遊びみたいなものだと。では、『週刊新潮』はどうでしょう。三十五回も書き散らしておいて、裁判でも「まったくのデタラメである」「訴訟など起こせる内容ではない」と判決されたということは、「ウソであった」ということが公になったわけです。三十五回も書き散らした『週刊新潮』は書いた責任を本来は取るべきですよね。

高崎 ええ、本来は取るべきですけれどね。それが痛くも痒くもないんですね。ただ「金取られるのはまずいな」という程度ですね。新潮社は、あれだけいい文学関係の書籍を出しているし、文庫などでも岩波書店が明治文学までしかやらなかったけど、大正、昭和文学までやっていたのは新潮文庫だけだし、その意味では、私は本当にお世話になった。新潮社の歴史を考えれば、これ(=今回の一連の信平記事)は新潮社を傷つけたなというふうに思うのがマスコミ人だと思うんです。それが現在の新潮社にはないんですね。

山本 たしかに、そうですね。

高崎 私たちの世代でしたら、極端にいえば「腹を切る」、辞表を提出するというぐらいの不祥事ですよ。「すみません」「申し訳ありません」では済まないですよ。それが裁判の判決が出てもこの静けさですから、知らんぷり、会社がグルになっているとしか思えないですね。

山本 たしかに、裁判の結果が出て、というか裁判にもならないということになっても、これを書いた門脇記者が、どう責任を問われたとも聞いていませんし、編集長が更迭されたけど、これのためとは聞いていませんものね。誰の責任なのか。不思議な点ですね。例えば新潮社の他の部署からも『週刊新潮』に対して何も抗議などがないというのも変だし、非常に奇形ですね。珍しい形です。これは全社あげて「よし」としていると思われても仕方ない。また他の記事で提訴されたりした場合、小さな謝罪文を掲載するけど、これに対しては、まったくありませんね。これはどういうことでしょう。あまり多くやりすぎて、今さら謝るわけにはいかないのでしょうか?

高崎 何もしていないということは会社ぐるみだったということでしょう。だから何もしない。何かあっても記者は「いや、これは編集長から言われた」と、編集長は「もっと上から言われてる」とね。

山本 なるほどね。責任の所在がないのですね。そうなると、もうマスコミではないですよ。いわば怪文書を作って大騒ぎをして、それだけ部数が売れたのだからよし。で、もとはといえば上司から「やれ」と言われたからと。新潮社の体質みたいなところへ行ってしまう。

高崎 だから、会社ぐるみだという結論になってしまうんですよ。

山本 そうですね。まあ、この問題をはじめとして、日本の週刊誌は先ほど高崎さんもご指摘されたように、間違いが多いように思われるのですが、この辺りの荒廃の原因というのは何でしょう。

高崎 私はやはり、儲かればいいという営利第一主義だと思います。それともう一つは、責任感の欠如だろうと思います。私は「戦争」から来てるのではないかと思います。戦争の後始末、戦争責任、戦後責任をどういうふうに考えてきたか。何も考えませんから。無責任で通ってきましたから。あれだけの人間が死んで、相手も殺しても、ほんの一握りの人しか、その責任を問われなかったということですから。まあ、「言論の自由」の時代に人を傷つけても、そんなことは大したことではないという無責任。それと営利主義が一緒になっていると思います。

山本 戦争中、戦後のそういう体質が温存されてきてしまった、引きずってしまったということですね。

高崎 はい。そうだと思いますね。これは実名は出せませんが、講談社のある部署の部長が東大出で、年は私より下ですが優秀な人です。彼が東大生のとき、出版社に入りたいということで、講談社と文芸春秋と両方受けたそうです。文芸春秋のほうが試験日が早かった。で、優秀な男ですから一次試験は通った。で、最後の選考に二十人残った。文芸春秋は、その二十人を帝国ホテルに呼んで、フルコースの食事をさせた。会社の幹部と向かい合って。片側に会社の幹部、片側に二十人の学生が並んで何を話したかというと、世間話だったそうです。「学生生活はどうだった」とか、「近ごろの世界情勢はどうか」という、どうでもいい話しかしなかった。で、終わって「では、この中から若千名を採用します。それでは近日中に通知をしますから。どうも今日はご苦労さまでした」で終わりなのです。では幹部は何を見ていたかというと、フルコースのマナーを見ていたんです。彼の分析によると、フルコースを食べるには三通りの人間がいると。一つは、ものの見事にナイフとフォークを操って、もう西洋人顔負けのマナーで食べる者。もう一つは、どうしていいか分からないで周りを見る者。彼は帝国ホテルも初めてなら、フルコースも初めてだから、もう、おどおどしながら食べてたというんです。で、三つ目が、そんなことはどうでもいいんだ。食えればいいんだとばかりにナイフもフォークも滅茶苦茶に食べるタイプ。受かったのは、しっちゃかめっちゃかのヤツと見事なマナーのヤツ。おどおどしたのはダメだった。

山本 ほう。どういう意味があるんでしょうね。

高崎 大出版社にはいろいろな部署がありますが、見事なマナーで、非のうちどころがないようなヤツを表舞台に回して、しっちゃかめっちゃかなタイプは、週刊誌にもっていくわけですよ。(笑い)

山本 なるほど。押しが強いほうがいいし、あまり作法にとらわれずに。

高崎 私が大学で講演したときに、「大出版社は、いかがわしいところが、いっぱいある。講談社も少しはいかがわしい。そのいかがわしいところへ、どうしても行きたいんだというなら、しっちゃかめっちゃかにやれ。今からマナーなんか練習しても間に合わんから。君たちに行ってもらいたくないけど、それしか方法がないよ」って言ったんです。最終選考でそういう基準で採用していた。これはね、ルールも何もない。週刊誌が悪くなるわけです。

山本 ああ、それなんかはいい例ですね。たしかに、そういう人格であれば、こういう文章をウソだと思いながらも平気で書くことができるかもしれない。でも一回や二回ならまだしも、三十数回もウソを書いてるというのは、一種の人格崩壊ですね。

高崎 なんでもいいんですね、結局。しっちゃかめっちゃかというのは、儲け主義とつながってくるわけですから。もう、モラルも何もないんです。会社も、儲けてくれればいいんだと。

山本 マスコミが、儲けを最優先させるようになったら、おしまいですね。

高崎 部長にその話を聞いたのは、ちょうど、私が文芸春秋の批判を雑誌に連載していたころです。「講談社だけ受けたの?」って聞いたら、「いやあ、その前に他を落っこったんですよ」。「どこ?」って言ったら「文芸春秋」って言うから「えーっ!」って、「それでどうだった」って聞いたんです。「やっぱり」なって思いましたね。

それじゃあ、『週刊文春』が、ああいう根も葉もないようなものを平気でやるわけだよなと思いましたね。

山本 高崎さんのご専門の一つは戦時下のジャーナリズムですが、日本の国全体も戦争責任を取らなかったけど文芸春秋も大政翼賛の片棒を担いでいたわけですが、片棒担いでいた文芸春秋がその後、何も責任を取らないどころか、そんなことなどなかったかのような……。

高崎 NHKを攻撃したんですよ。「ラジオはひどすぎる」なんてことを、戦争が終わってすぐ言い出した。「それじゃ、戦争中あなた方(=文芸春秋)はどうなの?」ということになっちゃうわけですよ。もう話にならない。自分のやったことは棚に上げて他を批判している。新聞でも雑誌でも戦後の態度の在り方を私は見ているのですが、反省をして、二度とそういうような雑誌の誌面を作ってはいけないと考えているようなところは、主婦の友社なんかそうですけど、当時、『主婦の友』の編集者たちは随分反省してましたよ。『主婦の友』では満州版を刊行していた。「どんなことを書いていたのか知りたいから持っていたら見せてほしい」と頼まれました。

山本 ほほう。

高崎 そういう人たちは、私は批判しないんです。それは個人も一緒です。例えば女性作家では佐多稲子は自己弁護をやっておったから、ちょっと批判しましたけどね。戦後の作品を見て、「ああ、これは戦争中の自分の言動や行動への反省を込めて、この作品を書いているな」というのは私はやらないんですよ。だから壺井栄を批判したことは一度もありません。

山本 なるほど。

高崎 住井すゑもそうね。ただ、住井すゑは『論座』でかなり批判されましてね。

共産党というのは卑怯です。選挙のたびに住井すゑを利用しておきながら、『論座』で批判された途端、一斉に横を向いて誰も住井を弁護する者はいないんです。私は「橋のない川」をずっと読んでいて、あれは、まあ大衆小説ですけど、住井すゑは、戦後これを書きながら心の中で格闘しているんだな、随分傷を負っているなというふうに思ったから、私は住井を批判したことは一回もないんです。それで『論座』で彼女の批判をやったから、本多勝一がやっていた『週刊金曜日』に反論を書いたんです。そういうことで、戦後、反省をしている者は個人であっても団体であっても私は批判しないんです。

山本 やはりペンを持っている者は、それくらい影響も大きいし、その分の責任も自覚しておかなくてはいけないということですね。

高崎 そうです。大出版社であればあるほど、責任は大きいんです。結局、いろんな分野での出版物を出しているわけですから。影響を受ける読者が多いのですから、責任は大きいと思います。

山本 少し話は戻りますけど、新聞社であれ、雑誌社であれ、財産というのは人材ですからね。人間一人ひとりが財産ですから。人を育てなくてはいけない。入社したてのフレッシュマンのときは「いいものを作ろう」と思って入ってくるのでしょうけど、だんだん、鈍化していく。高崎さんがおっしゃったように、社として戦中の記事や行動に関心がなかったり、まったくそのことに目をつぶっている、という体質が影響しているのではないでしょうか。

高崎 とぼけていても責任を問われないで済むような日本の社会であるという考え方、傲慢な考え方があるのでしょうね。戦中のマスコミもそうでしたから。そのために潰れちゃったというのは、小さいところは潰れましたけれども、大きいところは皆、残ったんです。

山本 こうした悪質な週刊誌ジャーナリズムというのはどうしたらいいでしょう? 今、盛んにいわれてます、いわゆる懲罰的損害賠償とか。

高崎 アメリカは懲罰的損害賠償というか、こういうペンの暴力に対しては厳しいですね。賠償額が日本の何十倍といわれています。五千万円とか八千万円とかいうのはザラだということですね。日本も十年前と今ではかなり違ってきて一千万円くらいまではいくようになりましたからね。二十年前は百万円くらいが限度であったようです。ただ、百万円とか二百万円だと雑誌を売ったほうが儲かりますからね。何とも思わないんですね。純益の中から何%は、こういうのに払わなきゃならんかなと考えていますから。

山本 三十五回分の人権侵害記事。これがアメリカだったら、かなりの賠償額ですよね。

高崎 アメリカだったら新潮社はつぶれちゃいますよ。間違いなく潰れます。こんなに一人の人物を集中的に攻撃して、それが間違いだと判決されたら一億円や二億円の賠償金では済まないですよ。

山本 昭和五十五年、私か関係した「チョモランマ登山隊」について同誌が歪曲した記事を書きました。私が抗議すると、編集長は「こうした表現も文化的行為だ」と平然と嘯たのです。だから何をしても恥ずかしいと思わない。

高崎 愚かな考え方ですよね。無反省というか。

山本 言い方を換えると、さっき儲け主義とおっしゃっていましたけど、例えば、レストランでいえば「うちの店では、この料理はこんな味付けにしましたよ」と特徴をつけて売り出した、だから「文化」だと。『週刊新潮』は「何をそんなに騒ぐのか。うちはこのスタイルで売ってるんだ。買ってくれるお客さんもいて、そりゃ多少捏造もあるけど、売れているから他人にとやかく言われる筋合いはない」と。これくらいの意識でしかないようですね。捉え方がまるで違う。

高崎 そうですね。本当に。それ以上のものはないですね。

山本 高額な損害賠償も、日本にも少し定着してきましたけど、これでどれくらいの効果が望めるのでしょう?

高崎 いや、こういう『週刊新潮』、『文春』、『現代』なんていうのは、今どのくらい売れているのか分かりませんが、少ない部数ではありませんからね。賠償金の一千万円やそこら、何とも思わないでしょうね。

山本 さらに一桁上がれば少しは変わるでしょうか。しかし、週刊誌の体質については、長い間、様々な批判が加えられているにもかかわらず、一向に改善されていません。これは自分たちで浄化しようという自浄作用が、まったくないからでしょう。

高崎 ないですね。

山本 だからいつまでたっても、“百年河清を俟つ”で、まったく変わらない。

高崎 やはり反論権だとか、報道オンブズマンみたいなものを日本にも定着させていかなければいけないと思いますね。歯止めにはなると思うんですよ。既成の雑誌が、そんなことのために誌面をさくとは思えないですから、オンブズマンのようなものが機関誌をもたないといけない。そういうものがないとダメですね。もちろん、その機関誌は新潮社だけでなく講談社のほうも睨んでいく、文春のほうも睨むというように主に週刊誌メディアを睨んでいく。いかがわしいものや品位を疑われるものをピックアップして機関誌に載せるといった具合に。

山本 片方は何十万部売るという週刊誌。もし、そういうチェック機能のある雑誌ができたとしても、それほど売れはしないでしょう。効果は厳しいのでは?

高崎 ええ。でも、それをマスコミ関係の人、新聞、雑誌、ラジオ、テレビに携わる人たちが読むようなものとして作っていかなくてはいけないと思います。そうすることで次第に自主規制されてくると思います。

山本 やはり週刊誌に自浄作用のあるチェック機能が欠如してるのが問題ですね。

高崎 ええ。週刊誌の場合、毎週何部売れたかは、よくチェックします。で、売れた号はなぜ、この号が売れたのかと。やはり、この記事がよかったのかとなるわけです。

山本 となると、読者の覗き見的な好奇心、世俗的なものに媚びていくという感じにならざるを得ないですね。

高崎 そうです。売上を意識すればするほど、迎合していくことになるんです。編集者の側に読者の意識や教養を高めようなんていう考えは、まったくない。でも、それは編集者が自分で自分の個性というか人間性というか、そういうものを自らボロボロにしていくというかたちになっていくわけです。

山本 まったく、その通りですね。自分たちで壊している。せっかく積み上げてきたものを壊していく。

高崎 どうしてそれが分からないかな。そうなってくると、また後から後から、新人をそこへつぎ込んでいって、またダメにしていく。

山本 さっき高崎さんが、無作法な新人が無作法であるがゆえに週刊誌向きだと。そのために採用されてると。たしかに、きちっとしてたら「それは裏が取れていないから記事にはできません」とか「人間的に信用がおけないから、記事にするのを控えます」となりますけど、無作法なヤッはそういうことを考えませんから平気で記事にできる。二回でも三回でも繰り返し書き、それがついには三十五回書き散らしてしまった、それで記事を捏造することに何らの痛痒さえ感じないんでしょう。

高崎 もともと抵抗する気持ちそのものがないんでしょうね。だから、だんだん決めつけになって、熱くなっていったのでしょう。

二十世紀最後の「週刊誌の犯罪」として歴史に残る

山本 そういえば、たしかに最初の記事は曖昧なんです。ところが、最後のほうになると曖昧なところが、まったくないんです。もうこの「手記」の話題から抜けているから、重箱の隅をつつくようにして創価学会の批判だけを言っています。

高崎 もう、そういうふうに回を重ねてしまうと引き返すことは不可能ですから、普通の判断力があれば、とっくに引き返してるでしょ。最初の二、三回やって、これはもうダメだ、この辺でやめておこうとなりますけど、続けてしまったら、引き返すことができませんから。最後までやりますってなっちゃうんですね。で、編集者は、ますます自分の人間性を痛めつけていくという格好になりますね。

山本 そういうふうにお話を伺っていると、これは紛れもなく歴史に残る週刊誌の恥部の堆積ですね。非常にいい加減な話が裁判にまで持ち込まれた。「訴権の濫用」との判決が出た。まして「最初からこんなに都合よくマスコミとリンクできるなんておかしい」と裁判官にヤラセ記事が見破られるほど。それを一、二回ではなく三十五回も積み重ねた。二十世紀最後の「週刊誌の犯罪」として歴史に残るでしょう。

高崎 そういうことになりますね。

山本 これは後にきちっと報道オンブズマン制度が確立したり、損害賠償額がアメリカ並みになり、やがて週刊誌が何らかのかたちで良識を取り戻したときに「とんでもない週刊誌があったものだ」と言われるでしょうね。週刊誌史上に残る汚点として永遠にとどめられるのではないでしょうか。

高崎 あの戦中の報道の犯罪と同じだね。私は当時のバックナンバーをたくさん持っていますが、半世紀たっても解決していないわけですから。今回のこの問題も、これは何十年でも二十世紀最後のところでこのようなことがあったというふうになりますよ、これは。マスコミの研究課題として残るでしょう。

山本 戦争中でも大本営発表に従って新聞を発刊するということに、若干の抵抗はあったのでしょうね?

高崎 あったと思います。例えば昭和二十年(一九四五年)三月十日の東京大空襲の「朝日」の記事を見ますとね、あのころの大本営の発表は「我がほうの損害は軽微である」としか言っていないんですよ。ところが「朝日」で、天皇が焼け跡を歩いている写真がありますが、その文章には「関東大震災のときの東京を知っているが、それに匹敵する」というふうに書いているんです。「ええっ、これは損害は軽微だと言ってたのに」って。私はそのとき軍隊にいたのですが、「東京がやられたらしいぞ」というので、大隊本部に用があって行ったときに見せてもらって立ち読みしましたけどね。関東大震災に匹敵するようじゃ、これはひどくやられたなと思いました。

山本 でも、そのころに、そういうことを書く記者がいたということですね。

高崎 やっぱり書き方があるわけですよ。関東大震災に匹敵するような焼け跡って、これはギリギリの表現だったと思います。

山本 甚大とは書けないですものね。やはり、その記者の個性とか才能とか見る目とかが素晴らしいですね。正しい視点をもった人ですね。

高崎 だから、例えばこれ(=信平記事)を、他の出版社の場合、上司にやれと言われて、一編集者がそれを担当してやる。その編集者がキチンとした目をもった人であれば、これは大ウソだなと分かる書き方をしてボツにする。

山本 なるほど。なるほど。

高崎 ええ。そういう抵抗の仕方があるわけです。

山本 昔の記者の中には、そういう記者魂みたいなものをもった人がいましたね。聞いたことがあるのですが、「記者というのは書くほうに力点を置くのではなく、書かないほうに力点があるのだ。どんなに上司に言われようと、一方を利するような肩入れをしたり、誰かに対して害を及ぼすようなことに筆をとらないということに気をつけるべきだ。そうでないと提灯記事を書かされたり、気がつかないうちに誰かを害するようなものを書かされてしまう」と。なるほどと感心しました。

「どんなに強要されても書かない」って。先ほど高崎さんは書かされたら、誰が読んでもウソと分かるように書くとおっしゃいましたけど、記者というのは本来そういうものがないとダメですね。

高崎 それがベースでしょうね。それはね、私がいたころの講談社の、ある編集長が、そう言ってました。上に言われて嫌なものを書く時にはボツになるような書き方をするんだと。自分はそれを講談社に入ったときに先輩に教わったと。

山本 新聞社もそれは同じですね。書かないということを主張できる、そういう精神をもった記者ですね。本日は、どうもありがとうございました。

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