[ 戻る ] [ トップページ ]

はじめに

 当節、“なんでもあり”の現象が続く。やって良いことと悪いこと、その区別もない。

 親が子を殺し、子が親を殺す。教師が生徒を襲い、警察官が犯罪に走る……。見方によっては、戦国・下克上の時代もかくやと思わせる世相となった。

 それもそうだろう。国民を守り、その生活を擁護すべき義務と責任を担う者たちが、平然と国民に背を向け信頼を踏みにじる。しかも恬として恥じるところがない。今、崩壊しつつあるモラリティー。これでは、社会の浄化、改善、向上など、できるはずがない。まして次代の子どもたちに生きる方向を明示することなど望むべくもないだろう。

 その善悪の見境を完全に失った者の最たる例が、本書で取り上げる信平狂言騒動の主役たちである。

 私は、ジャーナリズムに身を置いてきた一人として、本来、この騒動のいずれの当事者の立場にも与するものではない。

 しかしながら、事の経緯を虚心にたどる時、いずれに理があり、非があるか、自ずと結論づけるほかはない。そればかりか心中に込み上げてくる怒りを、どうすることもできないでいる。

 そう思うに至った経緯は、以下、本文を見ていただこう。ここでは、一連の騒動の渦中において、政治権力が、その権力を行使して、特定の団体と個人を抑圧し、弾圧したという事実。国会議員が、まったく事実無根のデマを利用し、国権の最高機関である国会で、ためにする証人喚問を、それも三回にわたって要求したという事実――およそ民主主義を掲げる社会にあって、あるまじき暴挙が繰り返されたという一点を、まず強調しておくにとどめたい。

 とともに私は、恐らく日本のマスコミ史上でも類例を見ないであろう、一つの「やらせ事件」について語りたい。

 その主役は『週刊新潮』である。

 『週刊新潮』は、この狂言騒動において、終始一貫して旗振り役を務め、実に三十五回にわたって悪質なディスインフォメーション(虚偽報道)を行った。

 これだけでも厳しく責任が問われるべき人権侵害事件であり、「言論のテロ」だが、私が取材を進める過程で、さらに驚くべき事実が発覚した。

 なんと問題となった「手記」自体、すべて捏造されたものであったのみならず、その捏造の背景には、『週刊新潮』記者の執拗な誘導、教唆、煽動があったという疑惑が、はっきり浮上したのである。

 そればかりか、その場で同誌記者は、デマを社会問題にするための手はずや、訴訟を起こす段取りまで指示していたのである。

 もともと、ありもしない事柄を捏造し、あたかも自分のスクープであるかのように報道する。これは紛れもなく「やらせ」であり、「スクープの捏造」である。ジャーナリズムが決して使ってはならない「禁じ手」である。

 この狡猾な「やらせ」に対して、平成九年(一九九七年)、ブラック・ユーモアのような事態が起こった。第三回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」の、その名も「スクープ賞」が、『週刊新潮』のくだんの捏造手記に与えられたのである。

 かつて世界的に権威のある「ピュリッツァー賞」の受賞記事が、まったくの捏造記事であった事実が発覚し、大問題になったことは記憶に新しい。またメディアの種類を問わず、「やらせ」「捏造」事件が往々にして起こることも知られている。

 だが、その動機の多くは、取材者の功名心、名誉欲である。『週刊新潮』の場合は、そればかりではない。特定の団体、個人を、なんとしても攻撃しよう――攻撃するための「ネタ」がなければ、自分たちでデッチ上げてしまえ、という恐るべき動機に基づくものである。

 その動機の不純、手口の悪辣さにおいて、『週刊新潮』のそれは、他の捏造報道事件を圧する犯罪性を帯びている。その罪はいつまでも消えるものではないだろう。

 さらにジャーナリズムの在り方、責任という観点から、ひとこと付言しておきたい。

 北海道の元創価学会員である信平醇浩・信子夫婦が、事実無根のデマをデッチ上げ、騒ぎを大きくするために狂言訴訟を起こしたのは、平成八年(九六年)六月五日のことである。

 信平らは提訴の日、マスコミ受けを狙って大袈裟な記者会見まで開いた。

 同日夜、テレビ朝日「ニュースステーション」、TBS「NEWS23」をはじめ、NHK以外の民放各社が記者会見の模様を放映。翌日は、「読売」「朝日」を除く全国紙、スポーツ紙がこぞって取り上げた。各マスコミは何ら「真実性」を検証することもなく、信平らのデマに踊らされたのである。

 私事にわたって恐縮だが、筆者はこの日の朝刊を読み、毎日新聞編集局読者室に電話をかけた。氏名、住所、職歴などを述べた後、こう尋ねた。

 筆者「こんな怪しい、名誉毀損の恐れのある記事を、なぜ掲載したのか」

 毎日「訴訟という事実を伝えたまでだ」

 筆者「もし、どこかに頭のおかしい女性がいて、橋本首相(当時)に暴行されたと訴訟を起こしたとする。それでも記事にするのか」

 毎日「それは、まあ、しないでしょう……。しかし今回は、はっきりと訴訟が提起されたから」

 ――その五年後、最高裁判所の最終判断が下った。東京地裁での一審判決通り、信平夫婦の訴えそのものが虚偽に立脚し、不適法な「訴権の濫用」であると厳しく裁断した。

 確定した一審判決は、信平側の提訴は、マスコミを使って騒ぎを起こし、創価学会に不利益を与えるための「不当な企て」(判決文)であったと喝破している。

 結果的にマスコミは、その「不当な企て」に加担したといえよう。

 そもそも信平らの主張に司法の断が下った現在においてなお、『週刊新潮』は、謝罪はおろか、先の「スクープ賞」を返上すらしていない。

 また、この恐るべき厚顔無恥について、他のジャーナリストから非難の声が上がったとか、賞を与えた人々から反省の弁があったとも、私は寡聞にして知らない。

 まさしく日本のジャーナリズムの貧困さ、未熟さを象徴する話ではないか。

 狂言訴訟は、司法の場で完全に破綻した。このような陰険、陰湿な策謀を、二度と再び許さぬために、一連の狂言騒動の真相を明らかにし、それに関わった者たちの素顔を記録にとどめたいと思う。

 なお、その趣旨から、関わった者たちへの敬称は略している場合があるので、御了承いただきたい。

平成十三年十一月                        山本栄一

inserted by FC2 system